12月20日:大屋雄裕先生レクチャー2回目

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12月20日は大屋先生レクチャー第2回目。

「自由か幸福か――配慮される社会と私たちの選択」
と題された連続レクチャーは
第一回目「自由と幸福の19世紀システム」参照
に引き続き、今回のタイトル
「監視とアーキテクチュアルな支配」へと入っていきます。

夜道、歩いて帰るときにちょっと暗いな怖いなと思ったことは誰にでもある話。何かが「出そう」で怖い、というむきはさておいても、その場所の暗さが「人の目」を隠してしまうことを恐れているのでしょう。歌舞伎町の例を引くまでもなく近年監視カメラの普及率が増加している理由として、あまねく場所に「誰か」の目を行き渡らせたい、逆に言えば「穴」を作りたくないという欲望があるように思います。必ずしもその「誰か」は人でなければならないわけではない、となれば、監視カメラこそその役にうってつけのものだと言えるのではないでしょうか。

というわけで今回は監視カメラの話からスタート。近年増加傾向にあるとされる監視カメラが、ただ増加したというだけではなく、現在どのような状態をつくりだしているのかを踏まえつつ、それが「アーキテクチュアルな支配」とつながった現状の確認へと進んでいった今回のレクチャー。以下ちょっとくわしめに、ここで言う「アーキテクチャ」とは何ぞやという疑問もほぐしながら、レポートしていこうと思います。 
監視の浸透

ところで監視カメラの増加に付随する批判としてその典型的なものに、人権の観点から監視を疑問視するというものがあります。しかし一方で世界には必ずしもその人権的観点からなされる監視批判に諸手を挙げて賛同できない人々がいることも忘れてはなりません。つまり監視をやめれば人権は守られるが生命権が危うくなる、という危機的な状況は、松本仁一『カラシニコフ』で参照された民間の監視カメラ会社「キューインシデント」の例が物語っているでしょう。

監視の全面化

他方でこのような監視カメラを有効なものとしてとらえる考え方への批判も存在します。曰く、監視カメラは犯罪の抑制ではなく分散しか起こしえない、と。あえてその言説を引き受けた上で理想的な状態を想定するのならば、それは先に触れた「欲望」の方向性、つまり監視カメラが満遍なくすべてのところへ行き渡っているという状態となるでしょう。「分散」は起こせるのならば、その「散っていく先」を物理的になくしてしまえばいいわけです。

監視の自動化

ただその「理想的な状態」を推し進めるためには、限界のある人の手を離れることが求められます。こうして監視や録画は機械化され自動化されることとなりました。無際限に蓄積されていくわれわれの日常の断片。日々「誰か」に見られているかもしれない生活。ただここで違和感をもつとするならば、それはこれらの膨大な情報に対してではないでしょう。個別の情報そのものは比較的「無害」なものだからです。むしろあるとすれば、ひとつの情報が他のそれと結び付けられる「データマッチング」にこそ危険性があると言うべきでしょう。

データマッチング

「データマッチング」とはどういうことか。具体例を挙げてみましょう。

神父:わたしがこの村で最初に聞いた告白は殺人についてのものだ
男:この村であの神父さんに初めて告白したのはわたしだ

この「無害」な二文は、それがマッチングされたときにある情報を示します。「男は殺人犯である」と。これがデータマッチングの怖さです。そしてわたしたちを記録するその膨大な情報がある「事件」の「鍵」となることを、わたしたちは怖れているのだといえるでしょう。

今やわたしたちはそのあらゆる行動を誰かに見られているかもしれないという思いを内面化しています。でもその「わたしを見る誰か」をわたしは見ることができません。ジェレミー・ベンサムが発案し、フーコーによって「近代の自我」を象徴するものとして想定された、「パノプティコン」という監獄の中に、わたしたちは生きているかのようです。

アーキテクチャによる支配

さて、冒頭でも少し触れた「アーキテクチャ」の話。法学者ローレンス・レッシグによって提示されたこの「アーキテクチャ」なる概念は、彼の議論から暴力的に抜き出してしまえば「社会生活の『物理的につくられた環境』」のことを言います。ホームレスが地下鉄で寝ないように作られた「オブジェ」や、公園のベンチに取り付けられた「仕切り」なんかがその一例。規制の形態としてはそれまで法・規範・市場が一般的でしたが、ここに「アーキテクチャ」をつけ加えたところにレッシグの議論の特徴があります。

アーキテクチャによる規制の特徴を挙げてみましょう。
1、事前規制:行動の可能性を事前に消去
2、確率性:誰にでも効果があるわけではない
3、薄い前提:かなり広範囲を対象にできる

監視+アーキテクチャ

地下鉄のホームにつけられる飛込み防止用の「ホームドア」、あるいはゲートや塀によって物理的に不審者を排除する「ゲーテッド・コミュニティ」など、監視とアーキテクチャが結合した例も現在しばしば散見されるようになりました。それまではその内部のみをその監視対象としていたパノプティコン世界にあっては、その外側は概念的には安全なユートピアとしてありました。一方でこうした監視とアーキテクチャの統合された世界においては、その境界の内側にこそユートピアがあり、監視対象は境界の外側へと変化しています。これはまさにかつてパノプティコンが象徴していた「近代的自我」の崩壊を経験し、現在パノプティコンがあたかも「裏返っている」ということができるのではないでしょうか。
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と、こんな感じでレクチャーは終わります。質疑応答は先生のご都合で30分ほどしか取れませんでしたが、こうした「アーキテクチュアルな支配」に対しての反応がひとつの話題に。感覚的にはどうしても拒絶したくなるけれども、現状を見ているとそれはある種の「善意」に支えられているといえなくもない。ならばこれをはなから否定してしまうことは本当にカシコイ選択なのだろうか、という先生からの問いかけをどう引き受けていくべきなのでしょうか。

先生がお帰りになられたあとは、残った受講生+RADの面々でちょっとした座談会に。普段あまり接点がない法哲学の分野、あるいは経済学の分野などなどで研究を進められている方々との「どんなことしてるんですか?」トークに花が咲きました。バックグラウンドを少し垣間見させてもらうことで、その後どんな点に質問をぶつけられるのかをより興味深くうかがえるいい機会だった、と仕掛けた側ながらヘンに無責任な感想を持った今回のレクチャーでした。


さてさて、次回の大屋先生レクチャーは1月17日
ちなみにタイトルはまだ未定です。
そしてQueryCruiseの次回は1月10日
五十嵐先生最終回
「始まりのケンチク(後半)00年代の建築」です。


おたのしみに!

RAD/S

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