1月17日:大屋雄裕先生レクチャー3回目
12月17日は大屋先生レクチャーの第3回目。
♯1「自由と幸福の19世紀システム」(参照)
♯2「監視とアーキテクチュアルな支配」(参照)
と続きまして、今回のタイトルがこちら。
「先取られる欲望と善意の監視」
突然ですが、「マッキントッシュ」が世に出てから25周年となりました。1984年のスーパーボールで放映されたリドリー・スコット監督の有名なCMが当時の人に与えた衝撃はかなりのものだったと思います。youtubeで今も見えるそのCMがコチラ。
1月24日、アップルコンピューターがマッキントッシュをお届けします
そして皆さんは知るでしょう
1984年という年が「1984」のようにならないそのわけを
CMの中の「ビッグブラザー」による監視支配-「人々」の従属という関係は、まさにここで引き合いに出されているジョージ・オーウェル「1984」が描いたディストピアでもありました。単一の主体による支配、服従する覇気のない人々。その関係を打ち壊すヒロイックな主人公に私たちは胸を打たれるわけですが、よく考えてみると「彼がなぜ支配するのか」は今ひとつわからない。というわけで今回のレクチャーは、この「監視する主体」、そして「その理由」がポイントになってきます。
前回のレポートは長くなってしまいましたので、今回はスッキリめにお届けしたいと思います。では以下、くわしめにレポートしていきます。
♯1「自由と幸福の19世紀システム」(参照)
♯2「監視とアーキテクチュアルな支配」(参照)
と続きまして、今回のタイトルがこちら。
「先取られる欲望と善意の監視」
突然ですが、「マッキントッシュ」が世に出てから25周年となりました。1984年のスーパーボールで放映されたリドリー・スコット監督の有名なCMが当時の人に与えた衝撃はかなりのものだったと思います。youtubeで今も見えるそのCMがコチラ。
1月24日、アップルコンピューターがマッキントッシュをお届けします
そして皆さんは知るでしょう
1984年という年が「1984」のようにならないそのわけを
CMの中の「ビッグブラザー」による監視支配-「人々」の従属という関係は、まさにここで引き合いに出されているジョージ・オーウェル「1984」が描いたディストピアでもありました。単一の主体による支配、服従する覇気のない人々。その関係を打ち壊すヒロイックな主人公に私たちは胸を打たれるわけですが、よく考えてみると「彼がなぜ支配するのか」は今ひとつわからない。というわけで今回のレクチャーは、この「監視する主体」、そして「その理由」がポイントになってきます。
前回のレポートは長くなってしまいましたので、今回はスッキリめにお届けしたいと思います。では以下、くわしめにレポートしていきます。
ビッグブラザーは誰か
ところで、オーウェル「1984」の描く「ビッグブラザー」の比喩は一体どこに当てはまるのでしょうか。ひとつの分かりやすい答えとしては、「国家」が挙げられます。犯罪防止、捜査・取締といった「建前」でもって、ビッグブラザーたる国家は私たちを監視、支配するのです。と、こうした意見はよく耳にするものの、「何のために支配するのか?」に対する明快な答えはありません。では、ビッグブラザーの座にある主体として他にどんなものを想定することができるのでしょうか。
監視する主体としての「中間団体」
答えを先取りすれば、「中間団体」が別の主体として挙げられます。分かりやすいところで言えば商店街やコンビニの監視カメラ。情報収集という点ではポイントカード。アーキテクチャのレベルで言えば空港の椅子などなど。というように、国家と個人の中間にある存在、それもビッグブラザーの比喩が暗示する単一の主体ではない、複数的な「中間団体」こそ現代的な「監視の主体」として考えられるべきものである、というメッセージが今回のレクチャーのポイントでした。ただ言い添えておくならば、この「中間団体」は国家と個人の「中間」に行儀良く収まりうるようなものではありません。これは中世における最大の中間団体「教会」を例に出すと分かりやすいのではないでしょうか。
監視する理由としての「配慮」
さて、情報の不正流出といった危険性においては、国家も中間団体も同等のものであるといえますが、この両者を分かつ重要な点は「透明性」と「アカウンタビリティ」であると言うことができます。国家には「憲法」という大きな規制がありますし、現代ではとりわけ「透明性」や「アカウンタビリティ」が強く求められています。一方「中間団体」とりわけ企業においては、これらの規制は求められても株主に対してのみという限定的な条件がつきます。また、国民は法の下に平等であることが定められている一方で、企業にとって「お得意様」を優遇するという「差別」は至極当たり前のこととしてかつてよりあるのです。そして現在問われる「理想的な」マーケティングとは、個別的な消費履歴から未来の欲望を先取りする、いわば「シミュレーションの欲望」に基づいているということができるでしょう。前回触れた「スーパー防犯灯」からも推測できる通り、監視の後ろ側には、人々を喜ばせたいという善意、つまり「配慮」が存在していることもまた事実なのです。
ではここで、以前からあった「お得意様優遇的差別」と現在の「シミュレーション的マーケティング」(=アーキテクチャと監視との結合)との違いを明確にしておきましょう。それは端的に「我々に気づかれることなく、望むものを提供する/リスクを排除する」ということがそれに当たります。ここでの「リスク」とはウルリッヒ・ベックによる概念であって、曰く「人間の活動の所産。典型的にはある個人の行為の予測できない影響」とあります。つまり、現在の「配慮する監視」における危険性とは、この「行為」自体があらかじめ与えられていないこと、にあるのです。
大屋先生のレクチャーは「1984」の一文をもっておわります。
古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。
全体主義者は命じた。汝、すべしと。
我々は命じる、汝、かくなりと。
----
さてさて、こんなところで今回のレポートをしめさせていただきます。
大屋先生のレクチャーではその後の参加者によるお話もだんだん活発になってまいりました。分野も議題も幅が広いので、主催者とは名ばかりなわたくしもたくさん勉強させていただいております。
次回のQueryCruise、かつ大屋先生レクチャー第4回目は、
2月14日(土)13:30から、タイトルはこちらです。
「20世紀と自己決定する個人」
どうぞお楽しみに!
RAD/S
ところで、オーウェル「1984」の描く「ビッグブラザー」の比喩は一体どこに当てはまるのでしょうか。ひとつの分かりやすい答えとしては、「国家」が挙げられます。犯罪防止、捜査・取締といった「建前」でもって、ビッグブラザーたる国家は私たちを監視、支配するのです。と、こうした意見はよく耳にするものの、「何のために支配するのか?」に対する明快な答えはありません。では、ビッグブラザーの座にある主体として他にどんなものを想定することができるのでしょうか。
監視する主体としての「中間団体」
答えを先取りすれば、「中間団体」が別の主体として挙げられます。分かりやすいところで言えば商店街やコンビニの監視カメラ。情報収集という点ではポイントカード。アーキテクチャのレベルで言えば空港の椅子などなど。というように、国家と個人の中間にある存在、それもビッグブラザーの比喩が暗示する単一の主体ではない、複数的な「中間団体」こそ現代的な「監視の主体」として考えられるべきものである、というメッセージが今回のレクチャーのポイントでした。ただ言い添えておくならば、この「中間団体」は国家と個人の「中間」に行儀良く収まりうるようなものではありません。これは中世における最大の中間団体「教会」を例に出すと分かりやすいのではないでしょうか。
監視する理由としての「配慮」
さて、情報の不正流出といった危険性においては、国家も中間団体も同等のものであるといえますが、この両者を分かつ重要な点は「透明性」と「アカウンタビリティ」であると言うことができます。国家には「憲法」という大きな規制がありますし、現代ではとりわけ「透明性」や「アカウンタビリティ」が強く求められています。一方「中間団体」とりわけ企業においては、これらの規制は求められても株主に対してのみという限定的な条件がつきます。また、国民は法の下に平等であることが定められている一方で、企業にとって「お得意様」を優遇するという「差別」は至極当たり前のこととしてかつてよりあるのです。そして現在問われる「理想的な」マーケティングとは、個別的な消費履歴から未来の欲望を先取りする、いわば「シミュレーションの欲望」に基づいているということができるでしょう。前回触れた「スーパー防犯灯」からも推測できる通り、監視の後ろ側には、人々を喜ばせたいという善意、つまり「配慮」が存在していることもまた事実なのです。
ではここで、以前からあった「お得意様優遇的差別」と現在の「シミュレーション的マーケティング」(=アーキテクチャと監視との結合)との違いを明確にしておきましょう。それは端的に「我々に気づかれることなく、望むものを提供する/リスクを排除する」ということがそれに当たります。ここでの「リスク」とはウルリッヒ・ベックによる概念であって、曰く「人間の活動の所産。典型的にはある個人の行為の予測できない影響」とあります。つまり、現在の「配慮する監視」における危険性とは、この「行為」自体があらかじめ与えられていないこと、にあるのです。
大屋先生のレクチャーは「1984」の一文をもっておわります。
古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。
全体主義者は命じた。汝、すべしと。
我々は命じる、汝、かくなりと。
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さてさて、こんなところで今回のレポートをしめさせていただきます。
大屋先生のレクチャーではその後の参加者によるお話もだんだん活発になってまいりました。分野も議題も幅が広いので、主催者とは名ばかりなわたくしもたくさん勉強させていただいております。
次回のQueryCruise、かつ大屋先生レクチャー第4回目は、
2月14日(土)13:30から、タイトルはこちらです。
「20世紀と自己決定する個人」
どうぞお楽しみに!
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