Volume#1 A new volume for architecture.(Editiorial)

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建築のための新たなヴォリューム(エディトリアル)
オレ・ボウマン(Ole Bouman )
 
 
あらゆる書かれたものは空間を構成する(これは確かに比喩的な関係ではあるが、非=物質的プロセスのどんな描写も比喩的であるという限りにおいてそうなのである。思考は飛翔し、愛はためらいがちで、憎悪は燃え、そして書かれたものは空間を形づくる)。
 
 
このような事実を考えると、建築家とおなじ道具を私は使用している。私は自らの小説のために空間的なプランを引く。これらの線描は構成のプロセスに必要不可欠のものだ。私はまた自らのマテリアル(つまり言葉)の寛容さや度量を試験し、それから自身の空間的なプランをそうした実際的制限に適うよう調整するのである。私は使用のために建てる。私は自らの読者を見越して自身のテクストを組み立てるのだ。私が書いた空間へ彼らが住むことによって、その意味と機能は永続的に変化するだろう。しばしば私はクライアントの委託で仕事をする。今もそうだ。「編集者」というクライアントは私に圧力をかけ、彼らの要求を通そうとする。そして私はそうする。建築家の社会的スキル―これは一種の「建築的知識」だろうか―は、私が書くときにも採用されるというわけだ。


あなたはこう尋ねるだろう。いかにして「ジャーナリズム、批評、そしてその他の反響の形式は、建築の「乗り越え」を予期し、貢献し、そして促進するのか?」、と。この質問はかなり大げさで、ちょっと混乱している。ジャーナリズムや批評は「反響の形式」だろうか? そして他にどんな形式が反響をなすだろうか? 「予期し、貢献し、そして促進する」とはどういうことだろうか? 私はこれらの問いを傍において、一般的な意味でのあなたの疑問に答えてみることしかできない。つまり以下のような疑問にだ。「書くことによって、物理的にテストするにはあまりに費用がかかりすぎたり、あまりに危険すぎたり、悪評が高すぎたりして不可能だと思われる建築の可能性をテストすることができるのか」と。
 
 
書くことは建築の「乗り越え」が知れ渡る最初の基礎となるだろう。なぜならそれこそが建築だからだ。書くことは物理的世界の制限やコストによって均された建築だからである。
 
 
マシュー・スタッドラー

 
 
下訳/さかきばら

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