3月14日:大屋雄裕先生レクチャー最終回

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3月14日は大屋先生レクチャーの最終回。

「自由か個人か―配慮される社会と私たちの選択」
をテーマとした大屋先生のレクチャーもついに最後となりました。
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♯1「自由と幸福の19世紀システム」参照
♯2「監視とアーキテクチュアルな支配」参照
♯3「先取られる欲望と善意の監視」参照
♯4「20世紀と自己決定する個人」参照
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と続きまして、今回のタイトルがこちら。

     「自由と幸福の行方」

今回は前口上ありません。これまでのおさらいもありません。上に挙げたリンクをたどりながら過去レポをご参照ください。至らないレポだらけですが、少しでも雰囲気をお伝えできていたら幸いです。

それではどうぞ。


と、そのまえに。
「これからわたしたち、いったいどこに行くんだろうか?」がひとつのテーマでもあった大屋先生のレクチャーシリーズ。今回最終回を迎え、大屋先生から近代の行方予測が3つ出されました。
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1】ハイパーパノプティコン
2】総督府功利主義のリベラリズム
3】「新しい中世」の新自由主義
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この三つを頭の隅に置きながら、以下の文面を読んでみてください。


さてさて。唐突ですが、近代において特徴的だったのは他者への信頼があったということです。しかし一方で犯罪不安の急増する現在、いつ何時襲われるか分からずビクビクしながら私たちが生きる「ホラーハウス」化する社会、そんな「信頼」はすでに崩壊してしまっているようにも感じられます。では、私たちは一体どうしたらいいのでしょうか。こうした問いに対して想定される選択肢として、たとえば無批判的な近代への回帰が考えられるでしょう。これがおそらく3】「「新しい中世」の新自由主義」に当たります。

一方で2】「総督府功利主義のリベラリズム」を考えてみましょう。この例として紹介されたのは、このレクチャーでもすっかりおなじみになった『統治と功利』の安藤馨さんでした。快楽を定量的に把握し、アーキテクチャによってそれを最大化してしまえばみんな幸せではないか。統治技術が最良になれば、主体も「個人」も、その自律も、いらないではないか。感覚的には「でも・・・」と言いたくなるような、でもその実なかなか反論のしづらい安藤さんの功利主義構想がモデルのひとつとして挙げられました。

あるいは別の選択肢として、伝統的コミュニティの再建が挙げられます。集団に存在する「乱暴者」に刺激を与えないよう他の人々が配慮し、皆が平穏に暮らせるような日本的コミュニティ。その構築が好例となるでしょうか。ただこうした治安管理も、見方を変えれば、子どもから大人まで、全世代を一体化させてくれる防犯という名のエンターテインメントにもなっている。人々は社会が抱え込んだ怪物がもたらす不安を、エンターテインメントとして消費しようとしているのです。こうした性格は以前もトピックとして引き合いに出したゲーテッドコミュニティにも見られます。ここにきてパノプティコンは反転され、監視対象は外部化したと言えます。

ここで1】「ハイパーパノプティコン」に関し、こちらも以前お話に出た「US-VISIT」の伝統的批判を考えてみます。ここでの批判対象は、外国人というカテゴリへの有罪性推定が挙げられます。外国人というだけで犯罪者扱いするな、と。ならば、ということで、日本人を含めた全面化を行ってはどうか、という反批判もある。これはいわば「ホラーハウス」よりも「ミラーハウス」の実現を目指すことと言い換えられます。そしてここでいうミラーハウスとは「私」も「彼ら」の一部であることを承認し、監視の全面化と徹底とをおしすすめることを意味するのです。これはよい社会とは必ずしも言えませんが、すべての人間を人間として平等に監視する限りにおいて、ホラーハウスよりは「正しい」社会であると言えるでしょう。「ハイパーパノプティコン」とはこうしたミラーハウスをベースにし、監視者を必要とする装置であるのです。全員が監視の対象であり、その主体でもあるという具合に。

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大屋先生が出された近代の行方予測を解説するかたちで、大屋先生レクチャー最終回のレポートを書いてまいりました。あなたはどの行方に興味を持たれますか。あるいはどれにも与しない、まったく別の行方を描かれますか。または行方というものにそもそも興味を持たれないとか。

建築と法哲学という分野の違いは、そのまま考え方の違いをも示しています。これを実感したのは、まさにパノプティコンをめぐるベンサムとフーコーの「フィクション」の強度の違いを先生がご説明されたときでした。「アーキテクチャ」という「建築」を意味する語の使用に関しても、先生と私たちとの間には、そこで想定される「物語」のつむぎ方に大きな差が出てきます(そもそもあんたがたのものとはクオリティが全然違うんじゃないの、というご批判は聞き流させていただきます)。今回大屋先生をお招きし、レクチャーを連続で開催していただいた一番の成果は、こうした考え方の違いをじわじわと連続的に実感できたということでした。

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2008年11月から2009年3月まで続いたレクチャーをお伝えしようとする、私のつたないレポも第一期はこれでおしまい。読み苦しい点もさぞかし多かったと思われますが、なるべく手を加えることなくこのままにしておこうと思います。いつでもご批判ご感想、お待ちしております。また2009年の秋頃から第二期クワイアリークルーズを開催しようと現在企画中です。ご希望の講師、扱ってほしいテーマなどございましたら、いつでもご連絡ください。

それではまたお会いできることを楽しみにしております。
最後まで読んでくださり、ほんとうにありがとうございました。

RAD/S

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