June 2009 Archives
「rep- radlab. exhibition project」第一回目は、junko awataniの個展を開催いたします。建築学科出身の彼女は、空間的なイメージを扱いつつも、通常の建築的表現に縛られない感度の高い表現で、2008年度京都工芸繊維大学建築設計学専攻修士設計展においてドミニク・ペロー賞を受賞しました。今回はその受賞作である「a garden」を、radlab.の空間をいっぱいに使った模型と、ドローイングで表現します。
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rep.01|junko awatani / a garden
会期:2009年6月18日 - 7月5日
時間:木曜日 - 日曜日(祝日開廊) 13:00 - 21:00
主催:rep- radlab. exhibition project
会場:radlab. (京都市中京区恵比須町531-13-3F)
アクセス:京都市バス停「河原町三条」徒歩5分、京阪電鉄「三条」駅徒歩10 分
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OPENING:2009年6月18日18:00 - 場所:radlab.
Continue reading rep|「rep01 junko awatani / a garden」開催.
この度radlab.は、exhibition project“rep”を実施する運びとなりました。年に数回、自主企画による展覧会を行い、建築的思考から生まれる様々なクリエイションの可能性を提示していきたいと考えています。
また、展覧会と同時に、講演会やブックレットの出版を行い多角的に建築家のヴィジョンを提示すると共に、作品を購入するという行為を通じて新しい建築の所有のあり方を模索していきます。そのことを通じて、建築に関るという行為をより日常的な存在へと変えていきたいと思っています。
また、展覧会と同時に、講演会やブックレットの出版を行い多角的に建築家のヴィジョンを提示すると共に、作品を購入するという行為を通じて新しい建築の所有のあり方を模索していきます。そのことを通じて、建築に関るという行為をより日常的な存在へと変えていきたいと思っています。
詳細はコチラをご覧下さい。http://exhibition.radlab.info
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Continue reading rep|rep- radlab. exhibition project実施のお知らせ.
ドバイでの目覚め
オレ・ボウマン
何年もの間、君は死んでいたと思われていた。植物人間になり、生命維持システムに頼っていた君は。夢遊病者のように意味のない言葉をつぶやき、そこにはない何かをみつめている君。
いかなる刺激にも反応せず、医者も君をどう回復させたものか分からない。彼らは君を外に連れ出す。新鮮な空気が手助けしてくれるかも知れないからだ。彼らはショック治療を試みる。そして、ついに、彼らは君のための居場所を見つける。そこの空気は本当に新鮮なわけじゃないが、その場所は確かに衝撃的なものだ。
オレ・ボウマン
何年もの間、君は死んでいたと思われていた。植物人間になり、生命維持システムに頼っていた君は。夢遊病者のように意味のない言葉をつぶやき、そこにはない何かをみつめている君。
いかなる刺激にも反応せず、医者も君をどう回復させたものか分からない。彼らは君を外に連れ出す。新鮮な空気が手助けしてくれるかも知れないからだ。彼らはショック治療を試みる。そして、ついに、彼らは君のための居場所を見つける。そこの空気は本当に新鮮なわけじゃないが、その場所は確かに衝撃的なものだ。
Continue reading Volume#12 An Awakening in Dubai.
ラスト・チャンス?
レム・コールハース(Rem Koolhaas)
私たちは終わりの時代に生きている。それは新たな始まりの時代ではない。
世界からもう一度やり直せる場所がなくなりつつある...
汚されていないキャンバスのように、ガルフ沿いの砂と海は、新しいアイデンティティがそこに記される究極のタブラ・ラサを与えてくれる。ヤシ、世界地図、文化資本、財界の中心、スポーツシティ...
レム・コールハース(Rem Koolhaas)
私たちは終わりの時代に生きている。それは新たな始まりの時代ではない。
世界からもう一度やり直せる場所がなくなりつつある...
汚されていないキャンバスのように、ガルフ沿いの砂と海は、新しいアイデンティティがそこに記される究極のタブラ・ラサを与えてくれる。ヤシ、世界地図、文化資本、財界の中心、スポーツシティ...
Continue reading Volume#12 Last Chance?.
破壊の建築
オレ・ボウマン(Ole Bouman)
ケヴィン・サイツという名前を耳にしたことがあるだろうか。彼はとあるブログを運営するひとりのリポーターであり、現在ではYahoo!と共同し、世界の「ホット・ゾーン」での彼の経験を私たちに伝えてくれている。数十の紛争地域で彼は一体型ヴィデオカメラを装備し、人々に彼ら自身の物語を語らせることで「その紛争が現場ではどのように感じられるのか」をたった独りで取材しようとしている。たとえ高いプロ意識のような覆いやグローバルな読者といった虚飾のもとにあっても、状況はこれほど多くの人々を巻き込むぞっとするようなものであるのかということを感じられるだろう。
それが報道範囲の問題であろうが、実際量の問題であろうが、紛争がますます不可避的なものであると考えられるような時代に私たちが生きているということは 明らかである。それが当然のものとされているのだ。2001年、ワールドトレードセンターへの攻撃をもってひとつの時代が始まった。そこでは21世紀にお ける暴力が必ずしも人々に向けられるわけではなく、もちろんそうではあるのだが、それよりもむしろ、建物に加えられるのだと私たちは実感しはじめるのだ。 敵の評価システムの象徴として(サマーラのモスクのように)それらは攻撃され、また爆撃され、あらゆる大量虐殺が今までになした以上に強烈な怒り、恐れ、 そして鬱積した憤りを引き起こす。また、ただ敵と戦うことのみならず、敵や、敵をかくまっているかもしれない人々の住居やインフラを狙うことが争いの新た な潮流となった。要するにテロリストの襲撃や先制攻撃の理由がより曖昧になる一方で、報復の度合いはより高くなり、それに付随する苦痛は今までよりも広範 囲にわたるようになった。そしてより重要なことに、破壊はもはや盲目的な憤怒の放出ではなく、大方几帳面な計算くらいのものになりつつある。破壊さえまた別の建築となるのだ。
オレ・ボウマン(Ole Bouman)
ケヴィン・サイツという名前を耳にしたことがあるだろうか。彼はとあるブログを運営するひとりのリポーターであり、現在ではYahoo!と共同し、世界の「ホット・ゾーン」での彼の経験を私たちに伝えてくれている。数十の紛争地域で彼は一体型ヴィデオカメラを装備し、人々に彼ら自身の物語を語らせることで「その紛争が現場ではどのように感じられるのか」をたった独りで取材しようとしている。たとえ高いプロ意識のような覆いやグローバルな読者といった虚飾のもとにあっても、状況はこれほど多くの人々を巻き込むぞっとするようなものであるのかということを感じられるだろう。
それが報道範囲の問題であろうが、実際量の問題であろうが、紛争がますます不可避的なものであると考えられるような時代に私たちが生きているということは 明らかである。それが当然のものとされているのだ。2001年、ワールドトレードセンターへの攻撃をもってひとつの時代が始まった。そこでは21世紀にお ける暴力が必ずしも人々に向けられるわけではなく、もちろんそうではあるのだが、それよりもむしろ、建物に加えられるのだと私たちは実感しはじめるのだ。 敵の評価システムの象徴として(サマーラのモスクのように)それらは攻撃され、また爆撃され、あらゆる大量虐殺が今までになした以上に強烈な怒り、恐れ、 そして鬱積した憤りを引き起こす。また、ただ敵と戦うことのみならず、敵や、敵をかくまっているかもしれない人々の住居やインフラを狙うことが争いの新た な潮流となった。要するにテロリストの襲撃や先制攻撃の理由がより曖昧になる一方で、報復の度合いはより高くなり、それに付随する苦痛は今までよりも広範 囲にわたるようになった。そしてより重要なことに、破壊はもはや盲目的な憤怒の放出ではなく、大方几帳面な計算くらいのものになりつつある。破壊さえまた別の建築となるのだ。
Continue reading Volume#11 The Architecture of Destruction.
扇動
ジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)
あなたが住んでいるところならばまた違っているかもしれないが、米国では一般に扇動が不足している。同業者の慣習的視点への対立を引き起こしてやろうという試みがあまりない。扇動者や、確立された価値に挑戦することで我々の制度の骨格を明らかにしようとする人はほとんどいない。そして、今日の包括的な状態において、扇動させられたりいらいらさせられたりと感じることはほとんどない。
扇動の不足は扇動的なことである。講義や、パネルディスカッションや、学術的プレゼンテーションにおいて人を揺るがすような視点を示そうという意識がほとんどない。明確に異なった立場にある人たちでさえ、不一致を示しているとあまり言われていない。議論が建設的な論評と協力的な取り決めに置き換わっている。骨の折れる努力は論争を激しくするより、むしろ補足的な視点へ費やされている。扇動の欠乏は平穏な状態に道をゆずる。全体としては、バランスの良い議論を通して洞察が得られるのだ、という発展への信念を感じることができる。でも不一致を許容し対立をはっきり述べさせることで評判の学校でさえも、内実はまあ静かなものである。
ジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)
あなたが住んでいるところならばまた違っているかもしれないが、米国では一般に扇動が不足している。同業者の慣習的視点への対立を引き起こしてやろうという試みがあまりない。扇動者や、確立された価値に挑戦することで我々の制度の骨格を明らかにしようとする人はほとんどいない。そして、今日の包括的な状態において、扇動させられたりいらいらさせられたりと感じることはほとんどない。
扇動の不足は扇動的なことである。講義や、パネルディスカッションや、学術的プレゼンテーションにおいて人を揺るがすような視点を示そうという意識がほとんどない。明確に異なった立場にある人たちでさえ、不一致を示しているとあまり言われていない。議論が建設的な論評と協力的な取り決めに置き換わっている。骨の折れる努力は論争を激しくするより、むしろ補足的な視点へ費やされている。扇動の欠乏は平穏な状態に道をゆずる。全体としては、バランスの良い議論を通して洞察が得られるのだ、という発展への信念を感じることができる。でも不一致を許容し対立をはっきり述べさせることで評判の学校でさえも、内実はまあ静かなものである。
Continue reading Volume#10 Agitation.

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