QC vol.2|佐野亘先生へのインタビュー【前編】
まずは前編をどうぞ。
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—まずはじめに佐野先生のご研究分野である政治学について簡単に説明していただけますか?
簡単に政治学についてお話ししますと、政治学は大きく実証的政治学と規範的政治学と呼ばれるものに分けられます。実証的な政治学では、現代の政治であったり過去の政治であったりするのですが、実際の政治現象をどういうふうに説明するのかが大きな関心になります。もう一つの規範的政治学のほうは、政治理論や政治哲学と呼ばれるもので、民主主義はどうあるべきか、自由とは何かといったことをテーマにしています。私自身はどちらかといえば後者の政治学を勉強してきました。ただ、従来の規範的政治学においては、いかにも哲学的で形而上学的な議論がなされていて、実際に政府がやっていることに結び付けて考えるようなことはほとんどされてきませんでした。せっかく自由とか民主主義とは何かという議論をしているのに、実際の政策に結びつかないのでは仕方が無い、というふうに、ここ20年ぐらいで言われるようになっています。
—ここで述べられている「政策」とは?
ここで言っている政策とは、実際に政府が何をしているかということです。そしてその結果どうだったのかということに注目する。実は政治学ではそういうことはあまり関心の対象ではありませんでした。というのも政治学のなかでは権力間関係がまず第一に問題になるのです。どういうことかと言うと、たとえば、政治家と官僚のどちらが強いのか、大企業はどれほどの政治的影響力を持っているのか、日本はヨーロッパに比べて労働組合の力が強いか弱いかとか、誰がどれだけ力を持っているかといったことが注目されがちで、じゃあ労働組合が強い方がよい政策がつくられるのか、というようなことはあまり議論の対象になっていなかった。でもそういうことも考えた方がいいんじゃないかと言われるようになってきた流れのなかで、現在私も研究しています。
—佐野先生ご自身の研究テーマは?
もともと修士課程では選挙制度について研究し、博士課程では選挙制度に限らず、一般的にどのような政治制度が好ましいのかについて、どのような観点から議論すべきなのかを考えていました。どのような政治制度において、どのような決定がなされ政策が作り出されるのか。通常、政治制度の良し悪しは、民主主義的かどうか、とか、内閣が強いか弱いか、とかいった観点から論じられることが多かったのですが、私自身は、良い政策が実現されるかどうかという観点から政治制度を論じようと考えました。現在の研究テーマの一つは、具体的な政策についての判断基準について考えてみましょうというもので、たとえば功利主義なら功利主義の観点からある政策について良いとか悪いとか考えるのはどこまで妥当かというようなことを考えるものです。もう一つは、政策を作り出す仕組みとしての民主主義をよりよいものにするにはどうすればいいかということです。それは単に市民参加が増えればいいという話ではありません。
—政治制度や政策が「良い」という時の判断のポイントはどのようなものでしょうか?
つきつめれば人それぞれ違ってくるので、そもそも何が良い方向なのかということも含めて考える必要がありますね。景観を例に挙げてお話ししますと、より良い景観を実現したいと思ったら、より良い景観を作り出すような民主主義のあり方を考えるという方向と、そうではなくて、より良い民主主義を実現すればそこから自動的により良い景観が生まれてくるという考え方もあります。そのどちらを優先して考えるかは民主主義の議論の中でもずっと問題になっています。
—唐突な質問で申し訳ありませんが、民主主義が徹底されているような場所はあるのでしょうか?
難しいですね。そもそも徹底された民主主義というのがどういうものかイメージがわかない。個別にみれば相当に民主主義が徹底されているようにみえるところはたくさんあります。小さな単位であれば自分たちである程度町並みのあり方決めるとか、ルールを決めるとかのケースはあると思うんですけど、何もかも小さい単位で決められる訳ではないですね。
—景観というのは主観的問題であり究極的には個人の自由ではないかという意見もあります。個人の自由という概念も今回のレクチャーでは重要なトピックであると思いますが、政治学の観点から考えた時に「個人の自由」とはどう位置づけられるのでしょうか?
それに関してはいろんな答え方が出来ると思いますが、一つは自由をどう理解するかということがあって、それによってどういう社会が好ましいと考えられるかということが違ってきます。自由から出発してどういう社会が好ましいかを考えることもできますが、そうではなくて、自由よりも何か大事なものがあって、それによって自由が正当化されると考えることも出来ます。そうすると自由よりも先に大事なものがあるので、そこから自由の価値や重みなりがはかられていき、その範囲で自由が認められるということになります。たとえば、アダム・スミス的な発想は、みんなが自由にしていた方が結果的に社会は豊かになるので自由がいいというような考え方です。それは自由自体が大事であると考えられている訳ではなくて、自由な方がみんな豊かになれるとか、幸せになれるというふうに考えられているのです。自由を第一に考えるか、それよりもっと大事なものがあると考えるのかで随分違ってきます。
—佐野先生ご自身は、景観問題を語る際に自由をどのように位置づけられますか?
自由それ自体が好ましいと考えたり、自由それ自体を価値づけたりすることは非常に難しいと思います。そうなると自由の大切さを何か別のものによって支えることになります。しかし、それを何と考えるかはとても難しい問題です。なぜ自由が大事かということは、人によって理由とか根拠とか違うわけですから。けれども、ちょっとややこしいんですが、じゃあ、前提の違う議論はずっと対立したままかというと必ずしもそうではありません。全然違うスタートラインから始めても、結論は同じになる可能性はあります。例えば、Aの観点から自由が大事だと言っている人と、Bの観点から大事だと言っている人がいて、AとBそれ自体を直接比べると全然異なっているけれど、結論的に、どこまでの自由を認めるかということについては合意する、ということがあり得るんですね。そこまで考えると、もしかしたらお互い合意できる地点が見つかるかもしれません。そういう地点を探すというのが実は政策とか民主主義ということに関わってくるのですが。
—その妥協点の探し方というところが先生の研究のテーマにも関わってきますね。
そうですね。ガチガチの政治哲学研究者というのは違いを強調し、どうしても論理的に異なるから絶対に相容れないという議論になりやすいんです。けれど実際の政策を考える上では、そこまで違いをつきつめたり強調したりしなくてもよくて、ここまでだったら折り合えるという地点を見つけることのほうがより重要になってきます。なので、そこのレベルでの規範理論を考えたいと思っています。
後編へつづく
interview by RAD/S
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