Volume#14 A profession apart
引き裂かれた職業
エージェン・オースターマン(Arjen Oosterman)
戦後期から建築の生産に目覚しい変容が見られてきた。第二次世界大戦以前、小サークルによって仕組まれ、ほとんど試験されなかった(モダニズムの)プログラムは、戦後西欧世界から展開していき、世界中のさまざまな地域に影響 を与えた。その適合、つまりそのプログラムの成功は、多かれ少なかれそれらの国の政治的システムから独立しているように見えた。共産主義圏においては、資本主義圏と同等に熱狂的な、あるいはそれに比較して「光、空気、そして空間」のあり方がより効果的な最小限住宅を生み出した。ヴィジョナリーな建築家とモダニズムの見さかいのない物質化との間にある直接的なつながりに関していくつかの歴史的な議論が残っている。後者は郊外の形態、大規模なインフラや摩天楼というかたちをとり、しかしそれをドライブする人あるいは物―経済学やイデオロギー—をエスタブリッシュすることはない。ともあれ、その権力と精神との調和的な協同は事実である。
これは建築事務所が専門的な企業になったときにもそうなのである。建物やその近隣だけではなく、都市全体をデザインしたり建設したりする何百人の雇用者を抱えた事務所もあった。建築家が関わる限り、増加する建設規模は、大きな、とても大きな会社への手へと落ちていく。都市計画から住宅のフロアプランまで、あらゆるものが単一の企業によって提供されうるのだ。これらすべてが建設状況の急速な変容、そして小さなスケールから産業生産までに関与する企業によっている。工業化を背景にした構成要素の利用が次第に増してきたことによって、建築企業は社会が、つまり政府が、欲する生産を達成することができたのである。建築家にとって、それは発見と問題解決の状況であった。問題解決とは、たとえば、大規模という問題にどのようにして取り組むのかということを指している。建築家はもはやクライアントひとりの表現された希望によるのではなく、むしろ一度期に数百のあるいは数千の住宅のために特色を打ち立てねばならない。(裕福な)クライアントの欲望や、文化的な価値の表現に手一杯である(あるいはそうなるかもしれない)分野から、明白に目標が定められた社会的な職業へのシフトは、間違いなく強烈なショックであって、最もドラマチックな変容であり、同時に建築家という専門家集団がかつて向き合ったもののなかでも最も大きな挑戦だったのだ。
エージェン・オースターマン(Arjen Oosterman)
戦後期から建築の生産に目覚しい変容が見られてきた。第二次世界大戦以前、小サークルによって仕組まれ、ほとんど試験されなかった(モダニズムの)プログラムは、戦後西欧世界から展開していき、世界中のさまざまな地域に影響 を与えた。その適合、つまりそのプログラムの成功は、多かれ少なかれそれらの国の政治的システムから独立しているように見えた。共産主義圏においては、資本主義圏と同等に熱狂的な、あるいはそれに比較して「光、空気、そして空間」のあり方がより効果的な最小限住宅を生み出した。ヴィジョナリーな建築家とモダニズムの見さかいのない物質化との間にある直接的なつながりに関していくつかの歴史的な議論が残っている。後者は郊外の形態、大規模なインフラや摩天楼というかたちをとり、しかしそれをドライブする人あるいは物―経済学やイデオロギー—をエスタブリッシュすることはない。ともあれ、その権力と精神との調和的な協同は事実である。
これは建築事務所が専門的な企業になったときにもそうなのである。建物やその近隣だけではなく、都市全体をデザインしたり建設したりする何百人の雇用者を抱えた事務所もあった。建築家が関わる限り、増加する建設規模は、大きな、とても大きな会社への手へと落ちていく。都市計画から住宅のフロアプランまで、あらゆるものが単一の企業によって提供されうるのだ。これらすべてが建設状況の急速な変容、そして小さなスケールから産業生産までに関与する企業によっている。工業化を背景にした構成要素の利用が次第に増してきたことによって、建築企業は社会が、つまり政府が、欲する生産を達成することができたのである。建築家にとって、それは発見と問題解決の状況であった。問題解決とは、たとえば、大規模という問題にどのようにして取り組むのかということを指している。建築家はもはやクライアントひとりの表現された希望によるのではなく、むしろ一度期に数百のあるいは数千の住宅のために特色を打ち立てねばならない。(裕福な)クライアントの欲望や、文化的な価値の表現に手一杯である(あるいはそうなるかもしれない)分野から、明白に目標が定められた社会的な職業へのシフトは、間違いなく強烈なショックであって、最もドラマチックな変容であり、同時に建築家という専門家集団がかつて向き合ったもののなかでも最も大きな挑戦だったのだ。
1950、60年そして70年においても、その割り当ては明快であり、その社会的な役割に問題はなかった。打ち立てられるべき未来に関して、生産と形態とのつながり、あるいは都市の占有と輸入の影響のつながりに関していまだ議論ができたのだが、これらのどれも実質的に建築家に影響を与えなかったように思われる。 「思われる」とはうってつけの言葉だ!20世紀のはじめからきた二つの幽霊が皮肉にも彼らの存在を感じとれるほどのものとし始めたのも、それほど昔のこと ではない。これらのうちのひとつが工業化であり、それが建築家の役割を完全に不要なものとしたのだろう。もうひとつは建築家-芸術家の産業化であり、それが同様に社会的な周縁化の兆しとなったのである。モダニズム運動のコアが工業化に奉じ芸術性を放棄した、という向こう見ずな流行は、半世紀にわたってうまくいっていたのだが、最後の四半世紀においてはそうでもなくなっている。
それはさておいても、職業と芸術、クライアントと社会(よりポジティヴ に、しかし悲劇的に定式化されている。たとえばひとつの体に二つの魂が存在するというような)との間にとらえられた建築家の存在というアンビバレンツは、 種種ある中でもイギリスやオランダにおける国家的な建築社会の性格によって見事に描写された。オランダの職-業的社会は19世紀の 「Maatschappij ter Bevordering der Bouwkunst」(建築発展のための社会) と、1908年に設立された「Bond van Nederlandse Architecten」(オランダ建築団体)とが連合したものである。建築的職業と企業の経済的な立場からなされた主張は、建築の文化-社会的価値へのコミットメントと手に手をとって進んできており、そして進み続けているのだ。それは私たちの社会における建築家にとっての多層的な状況の表現を、いわゆる 「ダブルクライアント」を伴って、形作っている。その「ダブルクライアント」とは、建築家の肩ごしに見る、金を払うクライアントと「社会」のことだ。これ は、クライアントの満足が主に質の尺度であるその他のプロジェクト駆動型の職業からは明らかに異なっている。
さて、前世紀の終わりへと立ち戻ってみよう。政府ではなく市場の力がいまや支配的な役割を果たすようになった生産におけるシフト/建設団体が蓄積されつつあるノウハウによってますますプロとして稼動し始める、という注文を受ける者のシフト/エンドユーザーが、(建売化やカタログ化といった)割り当ての定式化に反響するより多くの(仮定された)欲望を見ている、という消費者によるシフト/製品 の寿命を短くし(ファッションやライフスタイルの世界に似ている)、その投資をより迅速に実現しなければならないという、製品売上率のシフト/建築家のデザインや作品にとっての個別的な現実をあまねく生み出してきた土地造成と建設諸過程の結果に情報を提供するアドバイザーの数がますます増えているという、建設プロセスのシフト。
その合間にも少数の建築家は、何がどうなっているのか分からないような、信じられないほどの、視覚的にも楽しい建物を生み出す機会を得ている。20世紀の終わりにあって、建築家の社会的立場は失墜し、剥奪され、そして消えてなくなったのだ。社会エンジニアとしての建築家、社会的連携のオーガナイ ザーとしての建築家、政治的決定にインスパイアを与える者としての建築家、空間分配ゲームにおける職業的パワープレイヤーとしての建築家は、建築の一世紀 にわたる発展において特筆すべきものとなっているように見える。
あるいは、いまだ、あるいはまた、先に述べた少数の建築家のような姿勢に対する欲望、可能性、必要性があるのだろうか?実際のところ、現状よりも先を行く発展へのコミットメントは本当にあるのだろうか?現在の諸問題やそれに対するいくつもの挑戦は、より目覚しいデザインでもって感覚を驚かせる以上のことをなしうるのか?何人かのよく知られた建築家の言葉を聞いてみれば、そう とは考えられないように思われるだろう。20世紀にも30世紀にも人はさほど変化していない、とか重力や自然の力は、気概のないやたらと金を食う職業の産物が存在しうる原理的な状況を用意し続けるのだ、とか、イン ターネット、デジタライゼーション、情報社会、グローバライゼーション、などなどに建築家は過度に興奮しないほうがいい、と皆が仄めかしている、とかいう主張を人は繰り返し聞くのである。事実、来るべき数十年において、一定の審美的な質を伴った空間状態に対してデザインを与える者や素材を組み合わせる者とし ての建築家という役割があるだろう。しかしそのデザインを創造するのに何が必要なのか、それがどうなるのか、何を生み出すのか――こうしたことに関して彼らはこれ以上何も言うことがない。
建築家は自らの役割を再定義しなければならない、きわめて有能に割り当てを遂行する者から、企業家やプロデューサーへと変容しなければならい。ウィリアム=ジャン・ノイトリングが最近示唆したように、平凡なジャーナリスト、 あるいは平凡な研究者として自らを提示するのではなく、むしろアクティヴにわれわれの時代が提示した問題や挑戦に取り組むために。これこそ私たちが今号のボリュームにおいて新たな実践「unsolicited architecture」を提示する理由である。
これはまったき新しい実践というわけではない。近年 「unsolicited architecture」の名の下にサクっと集まることができた建築家や芸術家によってイニシアチブが取られている例がいくつか見られた。しかしそれは 実際、議論、説明、そしてアクティヴなパブリシティを必要とする。なぜか。そこには発見し計画すべき問題と可能性の海が広がっているにもかかわらず誰が責任を取るべきか誰もわからないからであり、unsolicited architectureの発生はしばしば単純に単一の作家へと帰すことができないからであり、ルールとしての結果は魅惑的な一組の写真では提示できないからであり、ベンチャーの発展分野へと足を踏み入れていくためには、その裏にある割り当ての安全と信頼された論理を勇気を持って捨て去ることが必要だからである。
Unsolicited architecture、誰があえてそれをするのだろうか?
下訳/さかきばら
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なおここでの「unsolicited architecture」がどのようなものであるかに関して、その概念の提唱者であるオレ・ボウマン( Ole Bouman )による論考「Unsolicited, or: The New Autonomy of Architecture」がウェブサイト上で読める。訳はこちら。名前からして明らかにボウマンに( とMITの学生たち )よって設立されたことが分かる「Office for Unsolicited Architecture( OUA )」のポートフォリオがVolumeの14号には付録としてつけられているので、そちらも参考にしたい。OUAのウェブサイトがこれ( http://unsolicitedstudio.com/ )。それから、オーストリアを基点に世界中の建築や建築的思考に関する情報を伝えてくれるブログ「anArchitecture」がこのトピックに関してエントリを立ててくれている。
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http://www.an-architecture.com/2008/03/unsolicited-architecture.html
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抜き出してみると、「Unsolicited Architecture」とは建設に固執しない建築であることがまず仄めかされ、あとは箇条書きで以下の五項が提示される。ここに紹介して追記終わり。
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- Find a new territory:あたらしい領域を見つけること
- Avoid clients, a site, a budget and a program:クライアント、敷地、予算そしてプログラムを避けること
- Design the architectural object, the marketing plan, the financing plan:建築物、販売予定、資金繰りをデザインする
- Reflect:反映する
- Action:行動する
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