Volume#14 Unsolicited, or: The New Autonomy of Architecture

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求められない、すなわち―建築の新たな解剖学
オレ・ボウマン (Ole Bouman)
 
 
『ボリューム』誌前号の編集長が、本誌でその創刊から書き続けてきた「求められない建築」を最も具体的な形にして提示してくれた。建築を超えていく、という考えがいかに行動に移されるのかを例示しながら、ボウマンはOUA(Office for Unsolicited Architecture)を設立することによって批評的実践の新たな断面を示してくれるだろう。
 
 
人々があれこれの死について語っていたときのことを思い出してみよう。私たちはたくさんの葬式をあげた。ミシェル・フーコーは人類の死を言い張ったし、ロラン・バルトは作者の死を断言した。小説、真正 性、進歩、啓蒙、そうやって名指したものについて、哲学者たちは慰霊祭で話しあった。人々はまだ生きていたにもかかわらず、本はいまだ書かれて、進歩もま だまだなされていたにもかかわらず、それらはすべて生ける屍の文化だったというわけだ。過去もなければ未来もない。なぜなら歴史もまた死を宣言されたからだ。

建築がこの文化的大量虐殺という悲劇によってどのような影響を受けたのか想像できるだろうか。建物も建て続けられていたにもかかわらず、文化的努力としての建築は無意味さの窮地をさまよっていた。真の価値を具体化するいかなる表象の力も欠いていたのだ。この真のプラグマティズムを超えた古きよき分野を想起させるものは、 「Architecturearchitecture」である。それはまっさきに建築に関する宣言となることを欲する建築のことだ。それは次第に深い軽蔑に会うようになり、結局は致命的判断にいたる。それが「不条理建築」要するに恣意的で信頼できないデザイナーの嘘っぽさのことだ。そこには唯一のヒントがある。彼らのエゴがそれだ。
 
 
悲劇的な話ではないか。それから有名なマルクスの文句がこうくる。二度目は茶番、と。アーキ-テクチャーがその芸術的自律性や自尊心をある程度保とうとするための闘争は、結局その崇高な終焉を避けようとするにはあまりにも大きすぎる敵と出会うことになるのだが、その闘争はいまや新たな状況に奉ずるための新たなマントラになり、「リアリスティック」になっている。不動産マーケットにおけるエージェントによってデザインされていようが、スターアーキテクトという少数のエリートによってデザインされていようが、建築はユートピアへの衝動をあきらめ、平均的な建設過程における多くのつつましいプレイヤーとなってしまったわけだ。本当には英雄的闘争の中で死んではいないデミウルゴス、天才、あるいは救世主としての建築家。いや、彼らはただ時代遅れになっただけだ。たとえ死が取り除かれたとしても。
 
 
よい知らせとしてはこんなところか。もし建築家がいまだ存命ならば、彼/彼女もまた独立して再び生き始めることができ、奴隷や道化師としてふるまうことをやめることができる。たとえば、建築が救済になるような、しかし誰もいまだ思いついたことがないようなすべての機会を探求することで、伝道者としてふるまったらどうだろうか。建築家が不死の存在になったとしたら、最初に与えられていた役割を再活性化させることだってできるはずだろう。私たちの空間を知的に構成するというその役割を。
 
 
もし最近の数十年における職業的な選択が、受動的なファシリテーターになるか、あるいはしばしば変わったことをするための特別な許可を持っている宮廷道化師になるかというものに貶められているのなら、おそらく機会は他の問いや期待へと向かわなくなっている。あなた自身にむかうのみだ。クライアント、敷地、あるいは可能な予算に求められるものとしてのデザインではなく、求められない建築をデザインし、そのためにクライアント、敷地、そして予算を見 つける時がきているのだ。適切なキャリアや愉快な生活のために覚えておくこと。他者がつくったモチーフに頼らないこと。自分をモチベートするのだ。
 
 
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なぜ求められない建築は否定の余地なくその他より優れているのだろうか。
 
 
なぜならそれは建築を自律した状態に保つからだ。建築の自律性はかつてリアリティからの難解な隔離を意味していたのだが、今となってはそれがクライアントの考えを超えて包括可能かの問題であることが分かっている。自律性は動作中なのであって、テリトリーにあるのではない。
 
 
なぜなら芸術、科学、革新、理想、冒険、補助そして救済としての建築は常に自己モチベーション、好奇心、切迫感、そして機会へのアンテナに頼っているからだ。
 
 
なぜならそれは究極的には建築の長期的な妥当性や正統性を保持するからだ。求められない建築は長期性への獲得であり、建築的知性の適応のための新たな対象を探すことであるのだ。

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建築があなたのために何を建てられるか、ではなく、あなたのために何ができるかを問うこと
 
どこにいけばクライアントがいるのか、ではなく、どこであなたが必要とされるのかを問うこと
 
今まで誰も考えたことのない状況や機会のこと を考えること
 
もはや単純に与えられるものに反応するだけではない建築について、受動的ではなく積極的にその課題を追っていくような建築について考えること
 
たとえクライアント、予算、あるいは特殊なロケーションがなくとも、行き詰った対話やロールプレイをシフトするような決定的コンセプトや力強いシナリオをもって介入することによって、アーキ-テクチャーが変化をもたらせるような瞬間について考えること
 
戦略的知性、つまり発展的文化的コンセプト、思考様式、社会的介入への戦術、衝突を沈めるための戦-略、戦いを戦うための武器、世界の他の部分へのメタファーのためのメディウムとしての建築について考えること
 
建設から自由な建築について考えること。
 
さあ求められない建築を実践してみよう

 
 
 
下訳/さかきばら

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