March 2010 Archives


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313日に実施されたワークショップ「Shibori Lab」の結果を報告するために「Shibori progress」を開催します。このワークショップでは、日本という地域における日本的西洋的服飾をめぐる考え方やイメージを、文化的、社会的、政治的といった側面から立体的に検証しています。当リサーチにおいて主眼とすべきは、日本の伝統的な染色技法である「絞り染め」を、より協同的でパフォーマティブな方法として捉え直すことです。

【exhibition: **Shibori progress**】 
とき:4月1日(金) - 3日(日)
場所:radlab.(http://radlab.info/access.html)
オープン:1pm - 7pm

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【Artist presentation and discussion: **Shibori Lab**】
とき:4月3日(日)
場所:radlab (http://radlab.info/access.html)
時間
—13:30:会場
—14:00:プレゼンテーション
        “Shibori Lab - March 13th 2010”,
by Elisa Marchesini (visual artist)
—14:45:プレゼンテーション
    “日本における洋服の変遷:歴史的、政治的、社会的事実から見えてくるもの”
by 周防珠美(京都服飾文化研究財団キュレーター)
—15:15:ディスカッション
—16:00:終了





QC vol.2|QC2まとめ

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QCバナー.jpg2010年1月24日から2月22日にかけて行われたレクチャープログラム『QueryCruise vol.2』「景観と町家の選択肢」は、たくさんの方々のご協力やご支援をいただき、ひとまず無事に幕を下ろすことができました。どのようなことがあったのか、をお伝えする手段に関しては現在下記のレポートや参加者さんのブログ等(ありがとうございます!)に限られておりますが、今後何らかの形(紙がよいな、と思っております)でより多くの方々にさらなる問題提起を、と考えています。
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  • インタビュー
大庭哲治 前半後半
佐野亘 前半後半
加藤政洋 前半後半

  • レポート
大庭哲治「都市景観の「値段」とその価値基準について考える」
佐野亘「景観問題はどのような意味において問題なのか?」
加藤政洋「都市景観のヘテロトポグラフィ」

Volume#19 Architecture of Hope

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希望の建築
エージェン・オースターマン (Arjen Oosterman)
 
 
ヴォリューム19号のためのデザインミーティングで私たちは、この特集では希望を表現しなければならないと話した。そのことは挑戦だというのは、幾分ありきたりな返答で、それに対して次号は全体が白黒で出版されることが決まる。虹色も無ければ、目を楽しませるものも無し、混沌とした日常的なマルチカラー、驚くべきイメージの猛襲をともなう畏怖、ショックもない。代わって物語へ戻ろう。私たちは戦後の時期から、魅力的で期待できるモノクロのイメージへの暗黙の参照を考え続けているのだろうか。おそらく結局のところ、現在私たちは、過去に彼らが行なったようには、私たちの社会や未来を再評価できていないだろう。
 
 
福祉的社会の建設は、今や凋落しつつある西洋社会において重要な戦後プログラムだった。現在(生産/消費と経済という)2重のシステムの崩壊は、今一度再び、どのようなプログラムとパースペクティブが考案されるかを指し示している。経済的、社会的、政治的次元において、彼らは無限性というコンセプトの中で啓蒙され近代化されたプロジェクトを達成していた。(そのコンセプトは、建築と都市発展における空間的無限性をともなって十分に働いていた。しかしながら、空間は不可分で、たかだか一時的に局所化され特異化されていた。)現在の課題は、地球との繋がりを伴った空間体験と混同にすること無しに、境界と無限というコンセプトを操ることにある。(国境、領土的限界、地理的な?)

Volume#18 Editorial

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エディトリアル
エージェン・オースターマン (Arjen Oosterman)
 
 
ノルウェイで書籍やギフトを扱う人気チェーン店ノータベネが、気候変化へのインパクトを抑えるため店内のメタルシェルフを再生紙でできた棚に変えるそうだ。低炭素社会への支持表明をなし、同企業は130ある店舗それぞれの什器や建具を100%オーガニックでリサイクル可能な材料でできたものに取り替えるとのこと。
(ノルウェー2008年11月27日付「Stora Enso Ventures」プレスリリースより)
 
 
70年代の終わりか80年代のはじめごろのいつからか進歩は保守的になった。逆にデザイナーにとってこれは、それぞれの仕事が個人的な好みに基づくようになったくらいのことだったように思われる。建築家の中には自らがモダニズムに心酔していることをほのめかす者もいるにはいたが、それに支配的なパラダイムとして向き合うことは時代遅れであった。残りの者は歴史に心酔していた。でもそれがおそらく一番のポイントだろう。勝利をおさめた自由市場経済(あるいは新自由主義として知られてもいるもの)の結果として主張された「歴史の終わり」とともに、建築はその方向性を見失った。当時あらゆる種類のパーティ(党派)空間があった。ブロッブパーティ、伝統的響宴、ハードコアなテクノロジーパーティ、エコガーデンパーティ、メガストラクチャーアフターパーティ、そしてオンデマンドな個人主義からの終わりなきチルアウト。もし建築には微小な差異を作り出すことくらいしかできないだとか建築がただの差異でしかなくなったとしたら、あるいは、もし建築がベッドタイムストーリーを伝えることで事足れりとし、もうストーリーに寄与しようとしないのならば、そして、もし建築が原理的に物資を提供し、価値に重きを置かないのならば、そのとき歴史は本当に私たちの前を通り過ぎて行ってしまうのだ。

RT|3月20日READTANKします

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3月20日にREADTANKを行います。

スクリーンショット(2010-03-08 18.40.13).png
今回はVolume#18「AfterZero」の序文を読みます。建築における「エコ」問題を取り扱った文章ですが、サステナブルな建築とは何か、というような素朴な話ではもちろんありません。本当によりより生活をめざすためにわたしたちは「エコ」の名の下に起こる社会的な狂騒とどのように向かい合うべきなんだろう。もっといえば、「エコを問う」ということを問うためにはどうすべきなんだろう、という感じの旨が書かれています。ブラックなユーモアがピリッとスパイスを加えているすてきな文章です。以下はこの号の概説。
 
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もともとはちょっとおかしなヒッピー風イデオロギーだった「サステナビリティ」別名「エコ-フレンドリー」だとか「グリーン」だとかがいま世界中で受け入れられるようになった。でもそれってどういうことだ?環境的な切迫、政治的問題、技術的問題、歴史的必然、あるいは新たな世界の秩序?それからこれが受け入れられていることの帰結ってなんだろう?サステナビリティへのコンセンサスは結構危ない。というのも、このコンセプトはなんの政治的内容も持ってないが故にどんな要因にも使えるからだ。カーボンニュートラルやゼロエミッションはマジックワードのようなもので、自分たちの社会が持つ不平等さにまつわる複雑な倫理的諸問題を覆い隠しているんじゃないか。にしても、ゼロのための規制とかニュートラリティへの隠蔽は、すべてのひとがより良い都市の中で営む、より望ましい住居のなかでのふさわしい生活、をもたらしてくれはしない。アフターゼロというテーマは津波やカトリーナの恐怖によってインスパイアされたデザインに関して云々するものじゃない。ヴォリュームはゼロを超えた社会への理解を提案する。そのとっかかりとしてまずは二つのパースペクティヴを議論しよう。後期資本主義都市でのサステナビリティと都市農業の潜在力、これがその二つだ。
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参加したい、という方はご連絡下さい。お時間等の詳細をお知らせいたします。
ちなみにVolumeの翻訳状況はこんなかんじです。



hanareradに滞在中のElisa Marchesiniによるワークショップを開催します。京都に滞在しだして、はや一ヶ月、今回のワークショップはレジデンスの途中経過を報告する場にもなるので、是非遊びにきてください。


3. action-squeeze-press copy.jpg


**Shibori Lab** 参加者募集!


**Shibori Lab** 

 ー聞く、見る、考える、話す、デザインしなおす、そして見せるー


日本の服/西洋の服と聞いて、思い浮かべるアイデアやイメージにはどんなものがあるでしょうか?「Shibori Lab」の1日ワークショップでは、文化、歴史、社会、政治的な様々な要素を考慮しながら、この質問を考えていきます。伝統的な染めの技法である「絞り染め」を使って、ファッションに対する考えを再定義してみることが、このワークショップの焦点です。

「絞り染め」という言葉は、顔料で染める前に布を形作り固定させる、様々な装飾方法を指します「絞り」という言葉が「絞る」という動詞から発生しているように、その染色法は「絞る」「絞りだす」「押す」という行為に多くを負っています。つまり、「絞り染め」では布を操るプロセスそのもの、布の上で起こるアクションによってその結果を多様に変え、いわば布を2面的な表面として扱うのではなく、折りたたみ、しわをよせ、縫う、あるいは編み込むという3次元的なフォームの問題として取り扱うのです。

今回の「絞りラボ」では、白いジャケットやシャツ、ズボン等の(もともと西洋的な)普通の服を素材として使用し、絞り染めの技術を使って変更を加え、このワークショップ終了時には、全ての服がインディゴ模様になります。伝統的な技術を現代的なアプローチに適用させることが今回のワークショップの大切なポイントです。


[日時] 3月13日 土曜日 9:00~

[定員] 15名 

[材料費] 500円

[場所] radlab(京都河原町三条)

[申し込み方法] 参加を希望される方は qqiixiipp(at)gmail.com までメールをお願いします。


お昼休みを挟むので、お弁当を持ってきてください。

当日は汚れてもいい服装、動きやすい服装でお越しください。

全行程に参加できなくても、大丈夫です。

いらなくなったジャケット、シャツ、ズボン(白系の色)を持っている人は、次回の喫茶はなれまで持って来てください。


Volume#17 Introduction

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イントロダクション
ジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)
 
 
私たちは大きな量というものに驚かなくなった。十億単位での利益、一千万単位での都市人口や訪問客、売り上げ、千単位でのパーソナライズされた「おすすめ」や検索結果、百単位での科学的発見 に私たちは慣れてしまっているのだ。しかしその豊富なお金、情報、そして可能性を普通だと感じるやいなや、私たちは欠乏の世界に直面しはじめる。おそらく私たちは重度の不足に対して取り組むだけの、際限なき利用可能性の時代が到来したことを目撃した者として歴史に名をとどめるだろう。あらゆる種の資源は次第に減少していくと言われている。資産の、株の、投資の急速な目減り。再生不可能な燃料の低下する入手可能性。そして現実に追いついていない世界食料供給網の産出量。事態はまるでポーカーのようだ。(取引する主体にとっては)より都合のよいハウスルールのもとで行われ、しかしそのカードは着実に減りつつある。


拡大と過剰のこの時代の終わりにあって、C-Lab.はこの時期の象徴的な発明のひとつについて考える。コンテンツ・マネジメントに ついて。つまりデジタル情報の収集、体系付け、そして分配のことだ。情報管理における最近の発展に対する私たちの回顧的な評価は、デジタルには豊富、でも 物質的には欠乏している現在のリアリティに仕えうる、膨大な、あるいは極端に制限された量のどちらをも保護しうる、コンテンツ・マネジメントの可能性に識見を与えるのである。

Volume#16 Planning Paradise

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楽園を計画する
エージェン・オースターマン(Arjen Oosterman)
 
 
「重要な建築的介入を始めるために必要な条件は、その実践に関わる一団(政府、地方自治体、個人投資家、ディベロッパー、建設会社、プランナー、デザイナー、そして建築家)との協議によってプロジェクトを規定することである。」「建築的介入と変容」に関する最近の国際会議におけるこの前置きは、今日における諸過程を考える「包括的な」方法に典型的なものである。プランやポリシーはもはや少数の専門家によって規定されたり実施されたりするものではない。それらはすべてのステークホルダー(利害関係者:現在的にポピュラーなもうひとつの概念だ)とともに発展させられる。すべての?たいていは介入の主体と被害者となる使用者/消費者/居住者は、ここから著しく抜け落ちている。


戦後の、大規模な、トップダウンの計画組織が多様な政治システムのなかでだんだんと機能不全になりはじめたとき、「市場」がその解決を許された。一定の繁栄レベルから推測して、需要は供給を導くだろうということになったのだ。あらゆるひとが、必要とするものを満足させ、政治は弱者、セキュリティ、そして(国際的な)競争を保護することだけに専念すべきだとされた。社会はつくられる必要もなかったし、もはやそんなことはできはしないのだ。事実、市民は自らが何を望むかを自分たちで決めた。これは建築家の役割と立場に関して重要な帰結を持つ。アルド・ヴァン・アイクはかつて、屋根を架けてあげることでひとの手助けをすることこそ建築家の役割だとしたことがある。(彼は付け加える「それがなかなか難しい」と。)それまで建築家がなすことはユーザーが望むかもしれないものを提案するだけということになっていたのだが、現在ヴァン・アイクの説明はますますありそうなことになりつつある。住宅建設において個人クライアントに割り当てられるものが次第に増していることは、最近まで少なくともオランダにおいては大きく欠かれていた、デザイナーとユーザーとの直接的な関係を生み出している。さらに、ヨーロッパやアメリカのそこここに市民の影響のラディカルなかたちが経験されている。その規模は小さいものだが、そこでは都市発展のための予算が、近隣、地区、あるいは村人そのものによって決定されている。(地方自治体の)政府が地域的に決定されたものを手助けするようなことはあまりない。

22122日はQueryCruise vol.2第三回目。立命館大学文学部教員加藤政洋さんによる「都市景観のヘテロトポグラフィ」が行われた。「せんなか半径500メートル西陣のへそを歩く」と題された一日目はまちあるきを、そして最中に個々の参加者によって撮影された「あなたの思う〈京都らしい〉景観」を持ち寄り、二日目はそれらの景観をもとにしながら〈京都らしさ〉にまつわるディスカッションを行った。かつてからこれまでのあいだにものされてきた都市にまつわるテクストを読み込み、そこにある隆起をなぞり返すようなご研究を背景に加藤さんがどのようなガイドをなされ、どのように私たちがそこに反応するのかがポイントとなる、これまでとはやや異なる二日間となった。


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裏京都、という言葉がある。観光地としての「京都」がある一方、それには飽き足らない「京都通」によって発見される「ガイドブックには載っていない」マイナーな見所を言う。「京都」という確固たるイメージとその過剰な消費がもたらした観光のオルタナティヴをこの言葉は示しているように思われる。さて、では景観と町家の選択肢というテーマで行われた今回のまちあるきは一体どのようなものになったのだろうか。結論を先取りするならば、例示したような京都の「表」でも「裏」でもない、いわば「奥」のようなところをめぐるものとなったと言えるだろうか。ここで問われているのは観光という消費行動における都市の凹凸のようなものではなく、いわば京都という町が不可避的に被らざるを得なかった時間性だ。景観とは「representation」の問題であり、「イメージ」を巡る問題である一方、「再現」あるいは「代表」のそれでもある。例えば現在採られている京都市新景観政策において〈京都らしさ〉なるものと「良い景観」との間にはある緊張関係がある。誰にでも〈京都らしさ〉に準ずるイメージはある。それをどのように規定するのかに関する議論はもちろんある。しかし一番に問わなければならないのは、その〈京都らしさ〉と整合しないものはこのシステムから排除されてしまうことだ。代表の問題とはこのことである。「京都らしい景観」はある排除のもとに規定される。急いで言い添えるならば、それはそれ自体においていかなる害を持たない。しかし政策の肝に据えられ、例えば建築制限への影響を持ち始めた時、その排除は厳格な囲い込みへと転じる。そのような箇条書き的「京都らしい景観」は多くに理解されるだろう。でも、そこで排除されるものがある。実際二回目のディスカッションにおいて興味深かったのは、複数人が同じ画像を「私が〈京都らしい〉と感じる景観」として挙げる一方で、やはり相対的に見てみればその選択にはかなりのズレが存在するということだ。



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