Volume#17 Introduction

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イントロダクション
ジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)
 
 
私たちは大きな量というものに驚かなくなった。十億単位での利益、一千万単位での都市人口や訪問客、売り上げ、千単位でのパーソナライズされた「おすすめ」や検索結果、百単位での科学的発見 に私たちは慣れてしまっているのだ。しかしその豊富なお金、情報、そして可能性を普通だと感じるやいなや、私たちは欠乏の世界に直面しはじめる。おそらく私たちは重度の不足に対して取り組むだけの、際限なき利用可能性の時代が到来したことを目撃した者として歴史に名をとどめるだろう。あらゆる種の資源は次第に減少していくと言われている。資産の、株の、投資の急速な目減り。再生不可能な燃料の低下する入手可能性。そして現実に追いついていない世界食料供給網の産出量。事態はまるでポーカーのようだ。(取引する主体にとっては)より都合のよいハウスルールのもとで行われ、しかしそのカードは着実に減りつつある。


拡大と過剰のこの時代の終わりにあって、C-Lab.はこの時期の象徴的な発明のひとつについて考える。コンテンツ・マネジメントに ついて。つまりデジタル情報の収集、体系付け、そして分配のことだ。情報管理における最近の発展に対する私たちの回顧的な評価は、デジタルには豊富、でも 物質的には欠乏している現在のリアリティに仕えうる、膨大な、あるいは極端に制限された量のどちらをも保護しうる、コンテンツ・マネジメントの可能性に識見を与えるのである。

 
コンテンツ・マネジメントのシステムと同じように、建築は環境空間や流通ルートを設計するテクノロジーを使いながら、情報やモノをコントロール可能な環境へとアレンジしていく。それは提示されたコンテンツの価値を具体化し、公共インターフェイスのデザインを通して訪問者の体験のためにその場の雰囲気をつくる。建築は体験の構成物であり、それは異なった形で存在するおびただしいコンテンツとの相互作用を必然的に伴うものであって、選択肢を、つながりを、更新を、そして人的な出会いや驚きをもたらすものである。そしてこの観点において建築とはコンテンツ・マネジメントの先駆けであり、運営上の青写真でもある。建築は私たちとデジタル素材との現在の結びつきを容易にし、建築から借りたメタファーはフレームワークのシステムを描写するために使用される。後に見ていく通り、いくつかの論考やインタビューでは、良かれ悪しかれ建築がいかにコンテンツ・マネジメントの陰にある考えに知識を与えつづけているか説明している。
 
 
続々と増大する量の情報が摘要でき価値を持つためには、淘汰、分類、解釈を必要とするからという理由で、コンテンツ・マネジメントには不可避的な需要があると議論されている。しかし現実にはそのサービスは問題を作り出すことによって正当化されているのだ。コンテンツ・マネジメントはコンテンツの生産を結果として招く。コンテンツを管理するサイトは、それらや他のサイトが集め加工する素材をストックパイルstockpileへと追加することで、しばしばそれをなす。コールハースのマンハッタンという初期の建築家が、自らが解決すべき任務だとみなした取り返しつかない過密状態を引き起こすことで、彼等の職業に対する必要性を妥当なものとしたように、コンテンツ・マネージャーはそれらを監督するサービス業の存在を必要とする、重度の量と冗長性を生産するのである。過剰渋滞のみが高速道路superhighwayを正当化し、そのインフラにオーダーを与えるだろうものは、その流出量もまたそれに影響を与えるのであって、効率的に機能するようそのインフラのキャパシティを要するのである。建築家と 同様に、コンテンツ・マネージャーがうまくデザインするのは明快な空間の分配やナビゲーションの容易化ではなく、むしろ安定した環境をぼかす付加的な素材 の刺激や非効率性、このケースにおいては隣接した商品、サービス、ニュースそして観点の継続的な導入をうまくデザインするのである。
 
 
たとえコンテンツ・マネジメントという語がみごとなまでに当てにならないものであれ、その官僚的な含意は完全にセックスアピールを 欠いている。あたかもそれが素材をつくりだしているのではなく、管理運営しているかのように。ただ管理することを主とするサイトは確かに存在しはする一方 で、軽い編集や再宣伝を通してそれらはコンテンツの生産もしているのである。かつて一度でも情報を収集し、公表し、そしてアーカイヴし たサイトは、いま自らのコンテンツを生み出している( 独自のレポートを始めたニュース・アグリゲーション・サイトとか )、しかしより重要なことは、ひっぱってきた情報を再びパッケージすることによって、コンテンツは次のような手法を使用していたときよりもずっと大きなコ ンテンツへとこしらえられているということである。つまり比較( あるものの有効性を証明したり反証したりするために二つの情報を併置する )や反復( 数の優位が事実に近づく程度まで類似した話を挙げる )、目録( 支配的な見方や社会的なパタンを確立するために諸意見を対照する )、リ・ラベリング( 話の強調点に変化をつけるために見出しを付け替える )、そして削減( 話の選択的編集 )などを使用していたときよりも。
 
 
これらレバレッジさ れた諸種のコンテンツの生産は、二つの関連した実践で予期せぬ利点をもたらしている。コメントとうわさだ。事実への容易な近づきやすさは、よく練られたコ メントへとそれらを形づけるコンテンツ生産者の能力を奨励する。と同時に、疑わしい情報を取り上げられる能力、そしてそれをもっともらしい、うまく組み立 てられた話にもできる能力に対するプレミアもある。スマートなコメントもうわさも同様に建築の生産にとって本質的なものであり、そして希少性の世界への退却が蔓延したことによって定義される時期へとわたしたちが入っていくにつれ、配分、保存、そして臨機応変さに関する新たな語りへの需要が生まれるだろう。
 


下訳/さかきばら

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