August 2010 Archives

yuasaweb.jpg2010年9月11日より、「rep-radlab. exhibition project」第五回湯浅良介展「nothing and something」を行います。

2010年4月に東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻を修了した湯浅良介は、同年東京建築コレクション(全国修了制作展)にて審査員特別賞を受賞し、次代を担う若手建築家として期待されています。既存の都市やそれを構成する建設物への批判的視座をストーリーへと仮託する湯浅の手続きは偏執病的ともいうべき性質をそなえ、建築、 ならびにその過程を再考します。彼が着目するのは「一見なんの価値もないようなもの(nothing)」が「誰かやなにかにとってはなくてはならない存在(something)」に変化するその力学であり、湯浅の建築はそこからはじまっているのです。

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rep.05|YUASA RYOSUKE / nothing and something

会期:2010年9月11日(土) - 10月10日(日)
時間:木曜日 - 日曜日(祝日開廊) 13:00 - 21:00
主催:rep- radlab. exhibition project
会場:radlab. (京都市中京区恵比須町531-13-3F)
アクセス:京都市バス停「河原町三条」徒歩5分、京阪電鉄「三条」駅徒歩10 分

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OPENING:2010年9月11日(土) 18:00 - 場所:radlab.

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ギャラリートーク:2010年9月12日(日) 14:00 - 15:30 場所:radlab.

rep.05 YUASA RYOSUKE / nothing and something開催に際し、 湯浅良介とRADとによるギャラリートークを行います。 

DSC_0014.jpg
8月21日17:00より、LABORATORY(a.k.a.radlab)にてopenlab.の第12回、トークセッション「オクパ—メイキング・スペース・イン・ザ・シティ」を開催した。このセッションは8月8日までLABORATORYを占拠した「AO」さんらによる企画「OKUPA」 のタイトルを引き継ぎ、そのときの文脈には目をつぶって、「オクパ」つまり「占拠」「占有」といったキーワードをテコに都市空間の使用/創造を考えていこうというもの。前半「つくるオクパ」では建築の側面から、一方後半の「つかうオクパ」では社会学の側面から、それぞれの分野で活躍され研究を続けられるお二方ずつにプレゼンならびに議論の口火を切っていただいた。内容は参加者のお一方につぶやいていただいたのでこちらをご参照の上その骨子を推測していただけたらと思います(いつもありがとうございます)。



ふたつの「オクパ性」
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まず最初に、端的に言って今回のセッションの構造には大きな壁があった。扱う「オクパ性」の違いである。具体的スクウォッティングの持つ「オクパ性」 を扱う前者と、公共的な場所である都市に施主というごく一部の「所有者」の願望に沿って建てるという行いそのものが持つ「オクパ性」を扱う後者とでは、それぞれ全く異なった層にある「オクパ性」を対象とする。建物の使われ方は常に変化し、故に建築家の想定とは常にすれ違う運命にある。もしかたしたら、このすれ違いにこそ建築家をめぐる現在的な問題が見えてくるかもしれない、ということを期待しながら、今回のトークセッションでは、この平行線をたどるであろう二つの「オクパ性」が交差しうるのか否か、もしそれが可能ならばどこでそれが起こるのかを私たち主催者にとってのひとつの課題とした。



今回はその課題に即し、各人の発言に当たりながら内容を振り返ってみたい。



Volume#20 Fact and Friction

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事実と摩擦
ジェイ・ローゼン(Jay Rosen)
聞き手:ジェフリー・イナバ(Jeffrey Inaba)、タレン・モンゴメリ(Talene Montgomery)
 
 
ストーリーをどのように伝えるのかをジャーナリストはどうやって決めるのだろうか? あるひとつのストーリーをレポートするときに彼らが負う責任とは? そしてどの程度彼らは大衆の関心を書くのだろうか? ニューヨーク大学でジャーナリズムを教えるかたわら報道批評も行うジェイ・ローゼンはこれらの問題を、ジャーナリストは大衆を表象するのか/つくりだすのかに関し長年にわたって行われている議論を引き合いに出して説明している。曰く、「大衆は見つけられることを待っているものであり、私たちが目に見えるようにしなければならない」と。この議論に付け加えるべきは、市民ジャーナリズムの到来、そしてとりわけ新たなストーリーをつくる際の大衆の役割についての議論である。ローゼンは、語られたストーリーに関するジャーナリズムの新たなモデルが生み出す問題点を正確に指摘しながら、伝統的ジャーナリズムに関する方法論の風景を通してヴォリュームをガイドする。
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ジェフリー・イナバ(以下JI)
「ジャーナリストは何のため?」という記事において、あなたは大衆の脆さを指摘しています。大衆は不変の実在物ではありえず、ゆえにその延長上で考えれば「大衆の関心」など安っぽい言葉だ、とあなたは言っているように思われます。「大衆」を規定する際の報道の役割とはどのようなものでしょう?

8月21日に、openlab.12をします。

スクリーンショット(2010-08-17 15.22.42).png
openlab.とは様々な分野で活動する人たちが自らの考えていることやアイデアを交換する場所をつくるために、スペースのドアを誰にでも開けておく、という試みです。飲み物を用意して、途中トークセッションを行います。ドアは開いたままなので途中参戦、長居、途中退席歓迎です。

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【日時】2010年8月21日(土)17:00から
【会場】LABORATORY(京都市中京区恵比須町531-13-3F)
【予約】いりません
【参加費】いりません
【テーマ】オクパーメイキング・スペース・イン・ザ・シティ
【ゲスト予定】
久保田裕之さん(リサーチャー、『他人と暮らす若者たち』著者)
坂田堅治さん(大阪市立大学博士課程在籍)
武田憲人さん(一級建築士事務所「expo」主宰)
中西ひろむさん(一級建築士事務所「中西研究所」主宰)
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【プログラム】(20100820訂正しております!)
17:00から19:00 
  つくる「オクパ」
19:00から20:00
  —休憩&議論、質疑応答
20:00から22:00
  つかう「オクパ」

第4回目を数える「rep- radlab exhibition project」は今回、京都北山に位置するギャラリー「SuperWindowProject」との共同によってアーティスト鈴木崇による作品「BAU」を紹介した。本作は、そのタイトルが示唆する通り、あたかも建築物に見えるスポンジの群を映したものであるのだが、その魅力はスポンジ群をある一定の角度から撮影するとあたかも建築物のように見える、というところにあるのではない。ここには建築への意思はない。しかしこの作品には建築をめぐる思考がある。


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会場に入ると、膨大な小さい写真の群。片やドイツ写真史にその「シューレ(派)」とともに名を残すベッヒャー夫妻の「タイポロジー」を思わせる整然とした壁面があり、片やDMにも掲載されたひとつの図像が孤立するように配置された壁面がある。一方の面には類似した構成をとる三つの図像が縦に並び、他方の面には横一列に図像が一本のラインを描いている。立ち位置を、視線を、変えるたびに観者は、その度ごとの風景を得る。図像が建築物に見える瞬間、はこうした変化のただ中にある。その瞬間が図像の群から個別の写真へと観者を導いているようだ。

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